常に挑戦に身をさらして生きて行きたい、それはそれ自身をもってMOLTO ESPRESSIVO であると思います。
僕は、自分の音を目指して、必ず最後まで弾き続けます。僕の目指す音楽、それは、137億光年のマクロコスモスの果てまで、または、地球とそしてそこに住む人々のミクロコスモスの隅々にまでゆき渡る波動であり、調和であり、旋律なのです。それを実現する術を見つける謎解きの旅に、一緒に出かけませんか?
北海道苫小牧市生まれ。
9歳よりチェロをはじめる。最初の師である井上頼豊先生の勧めにより、桐朋学園子供のための音楽教室にて英才音感教育を受ける。一旦は普通科高校に進学した上で、旧運輸省(現国土交通省)へ入省、同省航空保安大学校本科電子科を修了後、航空管制技術官として運輸省航空局に10年間勤務するが、その後退職し、チェリストとなることを決意、転身する。
少年時には井上頼豊氏に師事。また、2001年に霧島国際音楽祭に参加。堤剛、中島隆久、田中雅弘の各氏に師事。近年は、毎年7月に行われる元東京都交響楽団首席奏者の田中雅弘氏の室内楽セミナーに常連メンバーとして参加し、研鑽を積む。
指導者としては、ぴあ音楽教室「チェリエヴォーチェ・アカデミー」講師を務める。また指揮者として女声合唱「レディースアンサンブル」を指導し、2009年には全国合唱コンクールの地方大会を勝ち抜き、中国大会へ駒を進める。作曲活動も継続している
正統派クラシックのスタイルを身近でとのコンセプトによる「ライブハウス de クラシック」シリーズや、声楽家河原正枝とのコラボによるコンサート「ラ・チェリエヴォーチェ」などを開催。またチェリエヴォーチェ・コンサート企画委員会の主催で、2012年11月「20世紀ロシア3大チェロソナタリサイタル」、2013年11月「ドイツ前期ロマン派の足跡」を成功させるなど、画期的かつ本格的な企画で好評を博している。
技術者としての経験から、自然科学、電子工学、情報科学などにも造詣が深く、音楽家としてのキャリアのみならず、広い見識に基づいた、チェロ演奏、音楽指導、作曲活動に注目を集めている。
2014年7月、脳卒中(右視床内出血)に倒れ救急搬送の後入院、左半身マヒを患う。一時はほぼ完全に左手足の機能を失うなど生命の危機を経、その後もしばらくは寝たきりをの状態を余儀なくされる。仕事への復帰は絶望と宣告されるも、壮絶なリハビリののち、同年11月退院、奇跡の復活を果たす。
現在、左手足に残る後遺症と闘いながら、更なる復活へとじっくり、ゆっくりと力強い歩みを進めている。同じ病のみならず、患いながらもその人生を前向きに生きる人々をはじめ、私の復帰を根気づよく待っていてくれたチェリスト、音楽家たち、支えてくれた多くの皆に、音楽を通じて希望を与え続ける事が今後のライフワークである。